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『蒼穹のファフナー』竜宮島は何故同性愛に寛容か?

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引用部分色付き太字。

※真面目の皮を被ったネタ記事です
※てかネタ推しでいこうと思ってたのに生半可な同性愛関連知識と自分が屁理屈屋なせいで真面目になってしまった
※タイトル通り竜宮島が同性愛に寛容であることは自明のこととして扱っています。
※一騎→総士を前提に論を進めます(総士の感情はどうであっても話を進められるので無視します)

(11/14追記。
最近「ファフナー ホモ」の検索で辿り着かれることが多かったのと、記事それ自体がなんか恥ずかしくなってしまって一週間下げてました。
検索はネタ的意味なんだろうなー萌えてるわけじゃなくて「面白がりたい」んだろうなーアニメキャラが異性愛者でなさそうなくらいそんな大したことじゃねーよむしろ全員異性愛者なほうが異常だろとか思ってしまってイライラして。
別に検索するくらいいいけど私がそれを観測したくないなと思ったので。

しかし今日ついったー見てたら前回の記事がRTされてきてびっくりしました。
なんか褒めてもらってて嬉しくて、まあホモネタくらい今さら気にすることじゃないかと思い直しました。(だからといって受け入れられるわけじゃないけど)
恥ずかしさを修正してから上げ直そうかと思ったら読みづらいしあまり修正するとこなかったし面倒だしもうすぐ20話始まるしほぼそのまま上げます。
こんな前提でよければ、どうぞ。これを私の意図するところの「ネタ」として読んでくれる人がいたらいいな、と思います。)

それでは。





★竜宮島は同性愛に寛容か?

まず竜宮島が同性愛を受け入れているという根拠を考察します。


登場人物の態度やようすを見てみます。

まず一騎が総士への好意をあけっぴろげすぎです。全く隠そうとしません。
もし竜宮島にホモフォビア(同性愛嫌悪)が存在したり、「皆が皆異性愛者である」という合意があったならこうはいかないでしょう。
少なくとも父親である史彦が否定したならばもっと意識して隠そうとするはずです。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)の存在する社会において、人は同性愛者だと疑われる言動を避けたがります。
本当に同性愛者自認である場合でなくとも差別の対象にはなりたくないのが一般でしょう。同性愛者自認であるなら尚のこと。
過度な同性への思慕があると自他に認められた場合、本人によって恋愛感情が否定されます。

人前で堂々と「お前が行くなら俺も行く」などとは間違っても言えないでしょう。


また竜宮島では保守的な家族だけではなく多様な生き方が認められています。

容子さんは婚歴がなく独身でシングルマザーです。
翔子についてアルベリヒド機関から、カノンについてアルヴィスから、それぞれ言わば公的にシングルマザーのお墨付きを貰っているわけです。
シングルマザーであることのハンデや周囲からの奇異の目も特にあるようには見受けられません。

溝口さんは独身で子供もいません。それでも周囲から結婚しろなどの抑圧はなく、のびのび暮らせているようです。

つまり竜宮島は「男女が番って子供を育てる」規範がなく、それ以外の生き方を認める社会が形成されているということです。
そうなると、同性カップルも、ひいては同性愛者個人も、同様に「オカシイ」と言われない環境である可能性が高いのではないでしょうか。



★何故受け入れる環境が出来たか?

では竜宮島は何故同性愛に寛容なのでしょうか? 二つの仮説が考えられます。

単純には、「日本も2100年くらいには同性愛を受け入れている」説。
世界では今LGBT、セクシャルマイノリティの人権問題が急速に注目されつつあり、それは日本でも同様です。
2100年くらいには同性婚が法制化している可能性も充分にあります。
これなら今より理解も進んでいそうです。


では100年後もあまり受け入れられていないと仮定した場合。

そもそも同性愛は日本でどのように忌避されてきたか?

日本で同性愛差別が確立されたのは大正期ですが、そこで差別を正当化してくれるのは、「神への冒涜だ」とする宗教規範ではありませんでした。
『生殖イデオロギー』です。
即ち、「生殖(子作り)こそ生物の至上目的であり」、「性欲の本来の目的は生殖である」とする価値観です。
その目的論的世界について、『性現象論』(加藤秀一)を引用してみます。

性欲があって、男女間の性交が行なわれて、その結果として生殖が起こる(中略)。これは事実である。
ところが、この「結果」という言葉を「目的」という語に入れ替えるなら、話はまったく変わってくるのだ。(中略)

性欲―生殖という出来事の連鎖を、原因―結果という解釈枠組みではなく、手段―目的という解釈枠組みに当てはめる思考は、必ずその出来事そのものに先立って目的を定めた存在を隠し持っている。(中略)
これはいわば、自然そのものに意志を認めるような世界観であろう。

(『性現象論 差異とセクシュアリティの社会学』p37-p38/加藤秀一)(中略は引用者による)


つまり「自然」に意志を認め、単に性欲の結果として生殖が起こるのではなく、生殖のために性欲が存在するという解釈。
このような目的論を引くと、「同性愛は子孫を残せない」→「自然に反する」→「異常である」と差別を正当化することができるのです。

ですが、「反する」ような「自然の意志」なんて端からありません。
キリンの首が長いのは単に首の短いキリンが環境に適応できなかっただけで、高い木の葉を食べるために長くなったわけではないのです。

生物の性質には、あらかじめ与えられた方向や、ましてや目的などというものはない。ただランダムに繰り返される突然変異のなかから、環境に適応したものが生き残っていくだけだ。
(『性現象論 差異とセクシュアリティの社会学』p39/加藤秀一)



ファフナーの話に戻ります。
特筆すべきは「30年間ほとんどの島民が受胎能力を失っていた」ことです。

ちょっと思考実験になります。

竜宮島では『生殖イデオロギー』が正論面して跋扈できないのです。
子孫を産めない人たちが多数派となることで、産める特権を振りかざして「産めない人間は欠陥だ」と糾弾できなくなったんですね。だって糾弾したら自身も欠陥だと認めなくちゃならないから。

そこでやっと『生殖イデオロギー』が欺瞞だと気づけるはずです。生殖と性行為は必ずしも結び付くものではないし、産めないからといって人間性に欠陥を抱えるわけではないと。

しかしアーカディアンプロジェクトの理念が「日本人と文化の保存」なので当然子孫を残していかねばなりません。
自然受胎が出来ない以上、科学に頼るしかない。

そのため、人工授精技術を発達させ里子制度を整えました。
子供を殖やすのに男女が番って性行為する必要がないのです。
(現代日本にも里子の養子縁組制度はありますが、独身ではまず養親として認められません。竜宮島の里子制度はかなり緩いです)


異性愛と同性愛の相違点は、性行為によって子を成す可能性があるかないか、ただ一点のみです。
竜宮島の場合、その相違点さえ消滅しているわけです。
そんな中「同性愛」が「確認」されると島民は同性愛を差別する論理(生殖イデオロギー)を持たないことに気づき、認識が改まっていったはずです。


竜宮島が同性愛を受け入れる環境になった理由は、おおよそそんなところではないでしょうか。
つまり「2100年くらいには日本も受け入れている」説もしくはこの30年間のどこかで「同性愛」が「確認」されるタイミングがあったのだろう、というのが結論です。



★まとめ

・一騎の総士への思慕が周囲に全く抑圧されていない
・竜宮島は多様な生き方が認められている、同性愛もそのうちのひとつではないか
・竜宮島は30年間受胎能力を失っていたので生殖能力を理由に同性愛を差別できない
・それか単純に未来人の人権意識が高いかの理由で竜宮島は同性愛に寛容なのだろう


さて。
そんな感じで全体的に根拠は薄弱ですがネタということを逃げ道に寛恕ください……。
いくら人工授精制度が発達したと言っても、「自然に」「受胎能力のある男女の性行為によって子供が出来る」ことへの信仰はあるようだし。
ふわふわした「だったらいいな!」って程度の考察でした。あんまり読む人いないだろうしこれでいいのです。
何でこんなことまじめに考えてるんだろうってちらとは思ったけど結局そこに注目したくなるのは私の習い性ですね。

そういえば先日の電通の調査によると人口の3.1%はレズビアンかゲイかバイだそうで。
作中で名前の出てくるキャラが約120人なので、その中の3,4人は同性を恋愛対象にできるということになるのよね。
じゃあ一騎と総士と芹ちゃんと織姫ちゃんがそうでよくね?ってなるよね。





★余談。というか補論?
「同性愛差別って生殖イデオロギーだけじゃなくホモソーシャルからも支えられてるよね?」って話。


今回あえてホモソーシャルにおける男性同性愛者排除理論は無視しました。
何故ならホモソーシャルに必要な「男らしさ」の価値観がファフナーにおいてメタ的に意味をなしていないと判断したからです。

そもそもホモソーシャルとは、「ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする、男性同士の強い連帯関係のこと」です。(wiki)

ファフナー無印第一期では、「男らしさ」の価値観が竜宮島にも存在していることが確認されます。

広登「そういうのってさー、男らしくないんじゃないのー?」
(『蒼穹のファフナー』第10話)


一騎「遠見。悪いけど、はずしてくれないか」
真矢「え、なんで?」
総士「なんでもだ」
(中略)
真矢「男の子……か」
(『蒼穹のファフナー』第21話)

しかしこちらの時代が進み(2004年→2015年)、EXODUSで制作スタッフは作劇上意図的にジェンダー観を更新してきました。
詳しくは割愛しますが、わかりやすいところで言うと無印第21話とEXODUS第11話を比べれば一目瞭然です。
EXODUSでは今後も「男らしさ」「女らしさ」を強調しないのではと推測できます。

そうなると論を進める根幹が怪しくなってしまいます。「竜宮島にホモソーシャルが存在するか?」というところが。
10年という時を経た結果の錯誤ですね。メタ的に意味をなしていないというのはそういうことです。
よって考慮に入れませんでした。

まあホモソーシャル社会では同性愛の否定によってこそ「男らしさ」が保たれるのですから、自身に同性愛感情があることを積極的に否定していく必要があるわけですが、ファフナーではその気配はゼロです。
「いや別に俺総士を恋愛的に好きなんじゃなくてね」等という“弁解”を一騎は一切しません。
またホモソーシャルには女を獲得できない男を劣等として扱う性質もありますが、溝口さんが独身でのびのびしていられるところを見ても、やはりホモソーシャル価値観は薄いのではないかと考えられます。

メタなこと言い出したら切りがないし、「竜宮島は現実日本の都会の価値観を反映してるけど良いとこ取りで都合の悪い価値観は無視」と言いたいのが正直なところですが。
なのでホモソーシャルの同性愛排除を考慮しなかったのは単純に情報が少ないからという点もあります。



ともあれ「ファフナーと竜宮島と異性愛至上主義」については今後とも追いかけていきたいと思います。

↓引越し。内容はまったく同じ。
『蒼穹のファフナー』竜宮島は何故同性愛に寛容か?

エメリー語りと真矢ちゃん語り

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蒼穹のファフナーEXODUSも残すところあと3話。
エメリーと真矢ちゃんがとんでもなく愛くるしいです。
吐き出したくなったので語ります。



★エメリー語り

エメリー・アーモンド
>エメリーにとっても美羽の存在は不確かなもので、実際に対面するまでは実在するかどうか自信を持てずにいた。

エメ美羽のなにに一番ときめくかってここだよ。
不安をずっと抱えていたんだエメリーは。
世界平和のために自分ひとりじゃ力不足だとわかっていて心寄せられる人が誰もいなくてずっと孤独な「戦い」をしていたのがエメリーなのよ。
「いるって信じてた。絶対に」と言いつつやっぱり不安だったんだな!て。
いえ、不安だったからこそそういう言葉が出るんだ。
「絶対私の空想なんかじゃないって」ってね、空想のお友だちかもしれないと孤独を抱えていたエメリーを思うとね、もうね。


エメリーと美羽が初めて交信してからエメリーが竜宮島にやってくるまで数ヶ月はあったんじゃないかなと推測してます。
そんなすぐにはエメリーやナレインがシュリーナガルを離れられるとは思えないし、何よりそんな不安から解放されて涙を流すエメリーの切実さから一週間そこらなはずがない。
数ヶ月心もとない美羽の存在に縋って生きてきたエメリー……。推せる。

ただそうなると1話弓子の「最近空想のお友だちとばっかりお話してるのよ」という説明台詞が曲者で、最近になるまで弓子は気づいてなかったの?となってしまいずっと矛盾に苛まれていたんですけど、ドラマCDにて夢で会っていたと明かされて晴れて決着がつきました。
エメリーは忙しくて最近になるまで夜にしか話せる時間がなかったんだきっと。時差もそんなになさそうだし。
全部私の脳内設定だけど。


エメリーの家族問題は何も明らかにされてないので想像しかできないけど、エメリーが美羽を必死に守ろうとしていたのは弟を守れなかった代わりなんじゃないかと思ってます、今のところ。
エメリーは家族と故郷を失って、ハワイでも対話を試みたのに自分一人しか救えなかったことを、結構重責に感じてるんだろうなと思う。
だから今幼いながらにエスペラントの役目を自覚し全うしようと頑張ってるんじゃないかと。
対して美羽は、平和な竜宮島で育ってきて、フェストゥムとの対話で島を守り、共存への一歩も踏み出したスペシャリストで。
エメリーはそれを勇気の糧にして、憧れと恭慕を抱いていたんじゃないかなと思います。重責に溺れそうになったときの支えが美羽だったんだろうな。

最重要のエスペラントである立場ってすごく重いだろう。人類の未来を背負ってるわけだし。
エメリーがその立場でずっと働いてきたからこそ、美羽がエメリーより強い力を持つエスペラントだという事実はエメリーを公にも私にも支えていたんだろうと思うんです。
公に支えたのが8話での「私がいなくなっても希望は失われない。生きて受け継いでくれる」で、あれは美羽がいたからこそ言えた台詞だし、でなければ「絶対に死ねない」というプレッシャーが常時かかっていて、エメリーにとってそれは辛いことだろうなと。
私に支えたと垣間見えるのが『THE FOLLOWER』での取り乱しだったんだと思います。
ごく単純に、「美羽がいなくなったら(私にとって)嫌だ」という。

もしそういう私的な部分がなかったら、いずれ「大義のためにはエゴを切り捨ててよい、切り捨てなければならない」というヘスター的発想になっていたかもしれず、自分を守ることも恥じ入ることもなくそれゆえに島のエゴを尊重することもなく「美羽やあなたを苦しめてごめんなさい」と泣くこともなかったんだろうなあ。

HAEまでは全然、美羽のことバイリンガル幼女くらいにしか思っていなかったのだけども、まさしく正しく世界の希望であり、エメリーのミューズでありつづける美羽もまた美しいなと思うし、しかしその美羽を神格化まではさせず負担をかけないように努力しているエメリーとなるとせつにいとおしいというものです。





★真矢ちゃん語り

今の真矢ちゃんが大好きです。
というのも私はエゴイストが好きで、エゴをエゴと理解してそれでも周りを省みず開き直って突き通す人というのがたまらなく好きだから。


『クズの本懐』1巻の主人公がちょうど大好物なエゴイストで、
「人のモノにあんまり無許可でひっつかないでね」
と自分の彼氏にまとわりつく女相手に言うんですけど、実は彼氏といっても自分を慰めるために互いを利用しているだけで純粋に好きなわけではまったくなくて、
なのにその彼氏のことを"純粋に好き"な女に罪悪感なく「彼氏」を独占していいと開き直る主人公にとても痺れたのですが。


ひるがえって真矢ちゃんは昔からエゴイスティックな部分があった。
ジョナミツが「エスペラント二人を守る」と言ったのを、「美羽と弓子二人を守る」にいつの間にか読みかえていたのは真矢ちゃんのエゴの表れだ。
真矢ちゃんはそういうエゴを自覚してもいたし、エゴへの引け目もエゴをどう対処すればいいのかも知っていた。
だから抑制すべき勘所を理解して、「戦いたいなんて間違ってるよね」と言い、「あたしが戦うからお姉ちゃんもお母さんもみんなに責められずに済む」と立ち回ることができた。
それでも唯一曲げられなくて、また真矢ちゃんにとって曲げなくてよかったのが一騎を守ることだったんだろうな。
だって「皆城くんなら何かできる」から。笑
総士なら一騎を守れると信じていたし、だから甘えられたし、エゴをぶつけることができた。
その気持ちは戦いつづける限り報われることはないけど、譲りたいと思ったこともないんだろう。
もちろん19歳の彼女は総士でもどうにもならないと知っていたから「仕方なかったよね」と言えるんだけど。それもまたエゴの押し殺しである。


EXO15話で自分の善悪を揺るがされてからずっと「人を守るために人を殺してもいいものなのか?」と考えつづけ、18話でやっと"自分にとって"一番大切な一騎を守ることは他の何より優先すべきことだという道を選べて、開き直る準備ができたのでしょう。
だから開き直りきった23話がもう爽快でね……突き通せるのだもう彼女は。

そして文字通りその引き金を引かせるのは一騎でよかったし、一騎でなければならなかった。
美羽も総士もみんなも大切な人ではあるんだけど、覚悟を決めさせるには真矢ちゃんにとって一番大切な人でなければならなかった。
そこから逆算して、だからこそ一騎は朴念仁の無頓着で人を非対等に扱う必要があったし、真矢ちゃんの一騎を守りたい気持ちを抑圧する存在でなければならなかったんだな。
ファフナーのすごいところはそういう一騎の姿が元からの一騎像にぴたりと当てはまるところであるし、またこういう真矢ちゃんの末路が元からの真矢ちゃんのエゴの部分の昇華として現れたところであると。
イベントで松本さんが「この(真矢ちゃんが一騎を守るために人を撃つ)ために今までのファフナーシリーズで描かれてきた真矢があったんじゃないかって」という話をされてたけど、そういう錯覚ができるほど綺麗に今までの積み重ねが連なり絡み合っているのが惚れ惚れするよなあ、と思うのです。



覚悟を決めて度胸を手に入れそれを貫く人というのはかくも美しいもので、自分にとっての優先順位をはっきりさせたためにダスティンを躊躇いもせずマインブレードで一刺しする真矢ちゃんにいたく興奮しました。
ダスティンは人々を救うために人を殺しつづけたわけで、それよりももっとミクロなレベルで大切な人を守るために人を殺す、そういうエゴが勝った瞬間だと思う。

しかしエゴをエゴとして突き通すというのはその責任も一手に負うということでもあって、だから真矢ちゃんはそれを引き受けた結果としてヘスターに選ばせるために自爆の覚悟でもってフェンリルを起動した。
そういう掬い方、説き伏せ方がすごいよなー。
その覚悟がまたかっこいいんだわ。

一昔前ならやむなしとはいえエゴのために手を汚した人はそれをそそぐために罪を背負って死ぬのが定石だろうと思うのですが、真矢ちゃんに至ってはそういうことはしないんじゃなかろうかと。
真矢ちゃん、だしねえ。ファフナー、だしねえ。
何より「完膚なきまでのエゴの勝利」というものを見てみたいんだよな、私は。
ここまで勝っているから勝ち逃げしてほしいんだ。
『クズの本懐』はエゴを描きたいわけではなく、主人公に芯がなかったのでその後気持ちがゆらゆらしていて、貫いてはくれないのだなあと私は次第に興味をなくしていきました。


とりとめないけど語れたのでまあいいや。
ともかくエメリーと真矢ちゃんが大好きです。

新居昭乃Flora~冬の庭園2015/12/26ライブレポート

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セットリスト

1エウロパの氷
2ばらの茂み
3花のかたち
4mizu
5サリーのビー玉
6Fly me above
7Lhasa
8VOICES
9空の青さ
10奇跡の海(カバー曲)
11冬の庭園?(新曲)
12New World
13Sophia~白の惑星
14人間の子供
15美しい星

――アンコール――
16Never Land(新曲)
17風と鳥と空
18虹




三井ホールでの年末ライブ、久しぶりですね。

私も昭乃さんのホールライブが1年ぶりだったのでもー気分は「摂取」でしたね。
しかしこの日はいつもとは違う楽しみ方をした。
たまにはこういうのもありかな。
ちょうどこの日にファフナーEXODUS最終話を迎え、私はファフナーと昭乃さんの世界観の根底が一致していると考えている(私は昭乃さん的なものに惹かれる性質を持つ)からめちゃくちゃ重ねて見てました。

ので大半の曲で滂沱の涙を流しました……世界観、合いすぎ。
昭乃さんのライブでこんなに泣いたの初めて。もはやVOICESや美しい星なんて何度も聴いて慣れていたはずなのに。
たいていホールライブではわりあい攻撃的なアレンジを好む私ですが今日はしっとりな雰囲気でおなじみのストレートなセットリストが肌にじんわりと合っていた。
(そしてせっかくの2daysライブなのに27日はファフナーイベントと重なるため行けずじまいだった)




1エウロパの氷
2ばらの茂み
3花のかたち
4mizu

一曲めからエウロパ。
去年の大谷資料館のときを彷彿とさせる。今回は直感でSailorがくるんじゃないかと思ったけどはずれ。
こう、いつもなんで喉の調子よくない初っ端からつらくなりそうな曲歌うんだろうと思ってたんだけど、あとの曲のほうが確かにつらそうですね……。

ばらの茂み、なんだか可愛らしい歌い方でほんわかした。
「♪ねえ、Silver Girl」の跳ねるような語尾。
そのかわいさから花のかたちのやさしさ、そしてmizuの包み込み。多彩な景色。
mizuは青系統のライトでステージを照らし出す、水のイメージだったんだろう。
映像つくってある曲もあるのにこのブロックは視覚的演出はライトのみ。聴かせる弾き語り。


5サリーのビー玉
6Fly me above
7Lhasa
8VOICES
9空の青さ


そして昭乃さん緊張の弾き語りが終わり一曲ごとにサポートの方々が登場。
記憶に自信ないけどもしや藤堂昌彦さんとサリーのビー玉演るの初めてだった??
すごく神聖な掛け合いを見た気がする……。

本日の目玉、ハープの吉野友加さん。
私ハープ生で聴いたの初めてなんだけど、こんな美しく空気が凛と震える音なんだ!
もっとぼんやりした音色を想像してた。
私は音楽のことまるでわからないから二胡って言われてもそうかって思ってた。
そして全員揃ったLhasa、美しい。昭乃さんの声は他の音色と張り合うときの潤いが綺麗なんだよね。

そしてVOICESは前述のとおりファフナーに重ねまくってというかこんなに重なることを初めて知ってちょっとすごい衝撃……「見たこともない風景そこが帰る場所 たったひとつのいのちにたどり着く場所」……堪える。
まだしもぼく地球の曲ならここまで衝撃ではなかったろう。
からの空の青さは個人的に大歓喜だった。


10奇跡の海(カバー曲)
11冬の庭園?(新曲)
12New World
13Sophia~白の惑星


そしてここから映像とおなじみのプロジェクションマッピング幕演出!
奇跡の海!
この力強さこそいつもライブで見たい昭乃さん。だよね、真綾さんのトリビュートアルバムでこれカバーしたの2015年だったもんねくるよね……。

新曲はかわいらしいしとしととした静かな雪景色。
映像もステージいっぱいに雪を降らせていた。

久しぶりに聴くNew Worldで高潮し、白の惑星でオチをつける!
このへんの盛り上がりが最高だった。
白の惑星における「あかり」、蝋燭が雪のなかに照っているあたたかさ。
寒い、けれどもほのかにあたたかく、微弱ながら力強く息をしている。
それこそが昭乃さんの世界。そういうステージづくりが成功した流れだった。

そして静かに人間の子供と美しい星で締め。



昭乃さんがMCを考えていなかったということですっごいさくさくセットリスト消化して。笑
あっというまにアンコール。

16Never Land(新曲)
17風と鳥と空
18虹


新曲のNever Land。こういう、ぐっと耳を澄ましていなければ聴き取れない「声」を届ける内向きの曲がくるとほっとする。
昭乃さんの根底は変わっていないのだと。
でもそれだけではないことは感じたのでやっぱり歌詞分析できないかなあー。

吉野さんのハープとふたりでやる風と鳥と空、冬の空の旅の終息。
Adessoも合いそうだなあ、ハープ。


恒例の最後の虹。
2015年の昭乃さん単独ライブこれしか行ってないので他はわからないのですけど、虹でライトがカラフルになる演出はこれからずっとそうなんでしょうか。
おととしまでオレンジ一色だったものね。
これに映像つけないのはきっと信念だろうなあ。




さて。
以前に数年分のライブレポ記事全部消してしまったのわりと後悔してるので覚え書きは記しておきたいですね。
今年はちゃんといっぱいライブイベント他行けるといいなー。

新居昭乃Little Piano Tour vol.6初日 2016/3/5ライブレポート

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Little Piano Tour vol.6 早稲田奉仕園スコットホール

セットリスト

1Adesso e forutuna~炎と永遠~
2VOICES
3美しい星

4Reincarnation
5小鳥の巣
6空から吹く風
7仔猫の心臓
8OMATSURI
9アトムの光
10Black Shell
11Solitude
12妖精の死
13人間の子供
14Little Edie

――アンコール――
15懐かしい宇宙
16鉱石ラジオ
17虹


いや、素晴らしかった!!!

リトルピアノツアー、今年で6回目ですが、そして去年は一回も行けなかったんですが、その中で一番満足した公演だったかもしれない。
満足度ではかるならば。

セットリストを見ればわかるとおり、これ、空の庭のアルバム曲順になっているんですよ……。
しかも全曲。
アルバム引っさげたツアーならともかく、毎年のささやかな「ひとりでできるもん」ツアーの中でこうくるとは思わず大歓喜でした。
特に『Black Shell』『Solitude』あたりは一生生で聴けない可能性もあると思っていたんだ。
これは他のアルバムも……くるんでしょうか……まさか次の山梨の酒蔵で『降るプラチナ』とか。


1Adesso e forutuna~炎と永遠~
2VOICES
3美しい星


『Adesso』、映像初めて見ましたが、夜の海に浮かぶ船が美しいなと。
青紫のひそやかで艶やかなライトがステージ背面に浮かび、教会のような小さな会場を彩っていた。
そして『VOICES』『美しい星』と、いつもなら終盤に持ってくるような定番曲がここで来たときから何かおかしいと思っていた、ら……。

MCにて、「ここからはスペシャルメニューだからね」と、なにやら笑みを浮かべて目の前のipad端末(楽譜かなにか)をいじる昭乃さん。

4Reincarnation
5小鳥の巣
6空から吹く風


まさか……まさか……と聴いてきて、『空から吹く風』で「確定だーー!!」とテンション上がる。
しかも映像つきですよ。恐らく全部私は初見。
『小鳥の巣』の映像がかわいかった。

『空から吹く風』も初めて聴けて嬉しい。
いつだかリクエストでうろ覚えのままアカペラで歌ってくださっていたみたいなんですが私たぶんその公演行ってないから。
正直なところ、昭乃さんの弾くピアノ演奏って昭乃さんの曲質に合ってない曲があると思っているんだけど、この曲は軽快なリズムを刻むピアノがしっくり合って気持ちよかった。

7仔猫の心臓
8OMATSURI
9アトムの光


『仔猫の心臓』はふたつのわっかがじゃれるような映像が印象的。
ここまで全部映像つきだったので『OMATSURI』めっちゃ期待してて、妖しい現実と異空間の狭間をどう演出するんだろうって思っていたんだけど、予想に反して透き通る空と雲の流れがメインだったので驚いた。
どういう意図なんだろう。

そしてこの日の『アトムの光』、めちゃくちゃ凄かった……。
心の奥にすすー……っと入ってきて、さびしい孤独に寄り添うように、切なる感情を、願いを、声にならない声を、包み込んで空気になって溶けていく。
昭乃さんの真骨頂。ひっそりと寄り添うこと。
これは本当にささやかにひとりひとりに届ける行為なので、ライブという沢山の観客が集まる場所であってもひどくパーソナルな世界への没入になるという特徴を持っているため、圧倒されたの私だけかと思ってたら隣の人ぼろぼろ泣いてた。
映像は以前から使用している、一本の木の向こうに日が光っているカットが印象的なもの。
ハイライトのように蝶や花や人や鹿等様々な心象がぼやけてにじんでいく。

昭乃さんは「こんなマイペースなまま30年音楽やってこれて」って折に触れて言うけれど、こんなに人を魅了する世界を作り上げておいて「こんなんでもやっていけてるから安心材料にして」と言われてもまったく説得力ないですからね!

からの、MCのどこか抜けたかわいらしさのギャップがね……。
アルバム『懐かしい未来』が昭乃さんのやりたい音楽じゃないのは誰の目にも明らかだけど、「早く廃盤になってほしいのに30年経ってもなってくれない……」は笑ったwww
ファン的には好きですけれど、どの曲も。

10Black Shell
11Solitude


この二曲は本当に、聴ける機会なさそうだからこそいつか生で聴けたらいいのにと思っていた曲だったから感無量ですよ……!!!
どちらも「夏」というワードが入ってるんですよね。
全然夏っぽくないどころか、氷すら降っていそうなつめたさだけど。
というかこのアルバム、全部とは言わないまでも夏がモチーフなんじゃないかな?
お祭りにしろ、原爆にしろ……。
昭乃さんの手にかかるとこうもひんやりした歌になる。
しかし冷徹ではない、寄り添ってくれるからこそ温かくなるのが昭乃さんの特徴である。

12妖精の死
13人間の子供
14Little Edie


『妖精の死』も初めて生で聴いたよ。アルバムライブ最高です……。
ていうかこれ弥衣さんコーラスで掛け合いしてほしいな!? 強く思った。『Reincaanation』も!
「歌いたい曲が初めてはっきりした思い入れ深い曲」、「当時を思い出して歌います」ということだったので、まさしくアルバム仕様のかわいい声だった。
何気に昭乃さん色んな声質持ってるよね。
映像が御伽噺みたいでかわいい。また見たい。

『人間の子供』が「ほっとする曲」だというのは、単に曲調の話だろうか?
「妖精」(恐らく少女の隠喩)が死んで後二曲がちいさな子供への慈愛の目線だという構成はどういうことなんだろうと改めて考えてしまった。
大人になる瞬間から、悟って耐えてしまう子供から、生まれたてのまっさらな赤子への回帰?
ちいさきものへの慈愛目線は昭乃さんのテーマなので、Reincarnation(転生)から小鳥の巣(産道を通って生まれた赤子?)を経て、大人になったその瞬間まで成長して、そして赤子返りしていく……というアルバム構成って面白いなと思ったり。
生まれてきてくれてありがとう、こどもに向かう人生賛歌……。
こうして私たちは昭乃さんに生まれたことを「少しずつ許されていくのよ」。


アンコールは全ていつもの曲で合唱。
そういえば『虹』のライトはオレンジだった……ような?
あったかい気持ちを持ち帰ることができました。




そして4年ぶりのアルバムリリース発表でした!
楽しみ。(歌詞分析アップデートをするか否か……)
あとツアーグッズ事前に調べること意図的に避けていたのでカバー曲入りUSBの存在初めて知ってショックだよ……ほしかったよ……。
次は21日の赤レンガなのでそこで手に入れられますよう。

「前世もの」作品の構成要素――少女漫画と少女漫画以外の相違性

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引用部分色つき太字。
『花まんま』『スピリットサークル』『懲役339年』『ファンタジックチルドレン』『妖狐×僕SS』『密・リターンズ!』のネタバレあり。


前世。
それは運命のことわりによって生を越えてつづく魂の前身。
肉体が死を迎えても滅びぬ魂が新たな肉体をもって生まれ変わることわり。
身体と魂が分離した別個の存在であるとする物語。


さて、そのように世界を見た作品は世界中に根強く存在しています。
そこでのほとんどの作品は、肉体を移し変えただけで現世と前世でまったく同値の人格を取ります。
そうでなくとも、「生まれ変わる魂」への疑問を一切持ちません。

しかし全体的に見れば僅かながらそれへの疑問を指摘し運命と自我の兼ね合いに反発・葛藤・考察する作品が現れています。
本記事が言及していくのはそういった作品についてです。
よってここでの「前世もの」の定義は「生を越えてつづく自己に懐疑を抱く転生作品」とします。


生を越えてなおつづく魂はあるのか。
あるとすればそれは本当に私なのか。私を私たらしめるものとはなにか。
生を越えてつづく魂があるのならその同一性はどこにあるのか。
転生した魂は運命に巻き込まれ幾度も同じ生を繰り返すものなのか。
ではそれぞれの生は互換可能なものなのか。
であるならば今ここにいる現世の「私」に自我はなく、他の誰でもないたった一人の「私」は存在しえないのか。
前世を引きずることは現世に対して不誠実ではないのか。
現世の私は前世の魂の器でしかないのか。

「前世もの」は様々な角度からこれらを質します。
そこで問いかけているものの本質は「ここにいる私(のルーツ)とはなにか」です。
転生する魂を疑わない転生作品は「ここにいる私とはなにか」を問うことができないので、これと区別します。



「前世」と言われても、「前世」のあらゆる出来事に今ここにいる私の自我は関与していません。
前世の存在を知覚した時点でそれは「運命」を知らずのうちに背負ってしまうということです。
関与した覚えもないのに過ぎてきた過去(運命)を背負う。
私は確かに今ここにいてしまいます。その理由に過去は本当に関係があるのでしょうか。
「私」の自我は現世でのみに存在するのではなく、前世からつづいてきたものなのでしょうか。

「私」は不安になります。
今ここにいる「私」が前世と全く同じものであるなら現世固有の「私」がいなくなるから。アイデンティティーが揺らぐから。
「私」を形づくってきたルーツは現世にあると信じその自我をこそ守りたいから。

すべて前世ものは「私」と「運命」との戦いだ、と単純化できるでしょう。
前世ものでほとんどのキャラクターたちは初めから記憶を持っているのではなく、ある程度現世の自我が確立した時点で思い出す形を取ります。
守るべき自我が提示されることで「自我が前世に飲まれてはいけないのではないか」という葛藤が生まれます。

ぼく地球
今までの思い出とかどうなるのかしら
あたしは家族をとても大事にしてるし大好きだけど
木蓮さんにだって家族はあったはずなんだから家族がふたつも急に出来てしまう
輪くんはどうだったんだろう
覚醒したら今のあたし…坂口亜梨子より『木蓮』としての意識や自覚の方が強まるのかしら?
そうしたら『坂口亜梨子』はどこへ行っちゃうんだろう

(『ぼくの地球を守って』日渡早紀/8巻p68-p69)

転生した「私」は(過ぎた過去という)「運命」と戦います。
「運命」に負けたら今ここにいる「私」は唯一性を失い自我がなくなってしまう。
私とはなにか。私のルーツとはなにか。
いくら魂が転生しても、「私」は現世を生きていかねばならないものです。
今ここにいる「私」は前世とは関係のないひとりの人間なのです。


「この子は、そんな名前やないっ! フミ子や。俺の妹や。おっちゃんらとは、何の関係もあらへん!」
(『花まんま』朱川湊人/p207)

『スピリットサークル』水上悟志/3巻p22
「おれはフルトゥナなんかに負けねえ!!
フォンにも ヴァンにも フロウにも!!」

(『スピリットサークル』水上悟志/3巻p22)


「運命」を疑い、そして立ち向かった「私」。
そういう本質を持つ前世ものは当然のごとく、「私」が関与した自覚もない過去よりも今を大事にします。
ここにおいて「私」とは前世に拠らず現世に生きているそして生きていく自我を指します。
その「私」が過去からの呪縛に立ち向かい、そして勝つことで前世に縛られない唯一無二の「私」を確立することができます。
だから、最終的に彼らは前世の記憶を忘れたり、前世から受け継いできた力を失ったりすることもあります。
今を生きるべきだからです。

『ファンタジックチルドレン』26話 
「ヘルガとトーマの記憶はどうなるの?」
「たぶん僕たちと同じように12歳になると完全に消えてしまうだろう」

(『ファンタジックチルドレン』26話)


『天使禁猟区』由貴香織里/文庫10巻p395
「わかっとんのやろな?
お前はもう何も羽根の力もない普通の人間として生きていかなならん事…」
(『天使禁猟区』由貴香織里/文庫10巻p395)


『懲役339年』ではついに、変えられないはずの「運命」を人間のつくった紛い物だとして魂の転生までをも否定しました。
つまり前世などありもしないのだと言い、"前世もの"ではなくなったのです。

『懲役339年』伊勢ともか/1巻p180
「お前は本質を捉える事が出来る奴だ。それなのに、
本当にあると思うのか!? 生まれ変わりが!!」

(『懲役339年』伊勢ともか/1巻p180)

運命への抵抗は、なにも前世ものでなくともあらゆる物語の定番、基礎類型のひとつです。
前世ものは「生を越えてつづく自我に懐疑を抱く」という定義上、過去からの呪縛を「運命」として捉えることを容易にし、それに打ち克つことで物語を生むことができます。
だから『懲役339年』は運命を欺瞞だと言い転生を否定したのです。


前世ものにおいて、運命に抵抗し運命を否定するということはつまり過去の否定となります。
必ずしも転生そのものを否定するわけではありませんが、少なくとも「前世からつづいてきた今」の螺旋を否定します。
前世と関係ない今が大事だから前世と現世を切り離しすことができるのです。

『スピリットサークル』では過ぎてきた過去さえまだ決まっていないことだと断言します。
過去は変えられるものなのです。
過去でこじれて今に引き継いでしまっている悪しき運命を、過去を変えることで正そうとします。
今ここにいる「私」は前世とは関係ないものだから、過去を変えてもなんの支障もありません。

『スピリットサークル』水上悟志/5巻p23
「おれ達の娘が教えてくれたんだ
未来も過去も決まってないって」

(『スピリットサークル』水上悟志/5巻p23)

『妖狐×僕SS』も運命に抵抗し、過去を改変します。
前世と現世のつながりを否定してはいません。むしろつながっていると考えるからこそ、悪しき因縁のある過去を改変したのち「今」が消えるのです。
すなわちこれもまた「過去からつづく今」の否定です

『妖狐×僕SS』藤原ここあ/8巻p54
「23年前に戻って百鬼夜行を止めても止めなくても「今」は消えるんだぞ……!?」
(『妖狐×僕SS』藤原ここあ/8巻p54)




さてここまで見てきたのは「運命」と「私」の戦い、対立です。
「今」を「過去からつづいてきた結果」として受け入れることなく拒絶します。
運命への抵抗という要素が物語を生むからです。

しかし、本当にそれだけが物語なのでしょうか。
過去を否定してしまったら転生して今ここにいる私の存在は一体なんなのでしょうか。私のルーツに前世はまったく関係のないものなのでしょうか。
「運命」という超自然的支配が存在しないのだとしたらなぜ魂は転生するのでしょうか。
または転生というシステムはありえないものなのでしょうか。


――それに答えをくれるのは少女漫画です。
少女漫画は運命への抵抗よりもむしろ、運命の受容により重きを置きます。
「運命の人」というフレーズを出すとわかりやすいかもしれません。
少女漫画は基本的に運命を肯定し永遠の魂の結びつきを希求するものです。(すべてがそうだとは言いません)

最初に定義したとおり前世ものは生を越えてつづく自己に懐疑を抱く転生作品です。
だから「運命への抵抗」というパターンの物語が採用されやすいのでしょう。
少女漫画の前世ものも「運命の人」を疑いにかかるため、前世の恋人と再度結ばれるかどうかは作品によりまちまちです。

しかし「私」を保つため「運命」にただ反発するだけでは事態は好転しません。
なぜか。
過去は、変えられないからです。

『妖しのセレス』渡瀬悠宇/4巻p42
「夫も子供も亡くした時…
自分の宿命(さだめ)から目をそむけようとばかりしてた
でも今はこう思てる…宿命に逆らうより――――
受け入れて立ち向かえる人間にならなって」

(『妖しのセレス』渡瀬悠宇/4巻p42)

清濁併せた運命の受容。
これが少女漫画の得意とする領域です。
今は過去からつづいてきたものです。
どんなに変えてしまいたい出来事があっても前世はもう過ぎてしまった過去だし、過去があったからこそ今の「私」が存在しているのです。

『NGライフ』草凪みずほ/9巻p82,p105
何度繰り返してもシリクスは行くだろう
何度繰り返してもセレナは待ち続けるだろう
わかっている
歴史は変えられない
(『NGライフ』草凪みずほ/9巻p82)

きっと俺はふりだしに戻る
セレナを守れなかった事を悔やむだろう
「それでも俺は俺らしくあったと誇れるだろう?
そうだろう……?」

(『NGライフ』草凪みずほ/9巻p105)


『ZERO』やまざき貴子/10巻p159

幸せな夢より君がいい
間違っていたとしてもオレの真実(ほんとう)は君だから
この世界(ここ)でなきゃ君と出会えなかった
生きて 出会って
今を生きたくなる
君という存在で この世界を肯定できる

(『ZERO』やまざき貴子/10巻p159)


運命は拒否できない。過ぎし過去は戻らない。苦い思い出であろうと過去がなければこの私のいる今もなかった。
だから、受け入れるのです。過去からつづいてきた今を。
そしてすべてを肯定するのです。


ぼく地球16巻仮。
前世を知るって ただこれまでの道のりを振り返るだけのこと
現在(いま)のあたしが消えるってことじゃない…
過去があって今のあたしが存在してる

(『ぼくの地球を守って』日渡早紀/17巻p168)


過去を受け入れるといっても現世固有の自我を否定するわけではありません。前世ものは「私とはなにか」を問うのですから。
「運命」と「私」のあり方を疑います。けれども対立はしません。
過去から今へとつづいてきた運命を一旦受け入れた上で、呪わしい「因縁」を未来へ引き継ぐことは阻止します。

『妖しのセレス』渡瀬悠宇/13巻p105
天女(セレス)と始祖「ミカギ」の悲しい過去
その子孫の御景家の血みどろの歴史
セレスに「羽衣(マナ)」が戻ればきっと…それも終わる

(『妖しのセレス』渡瀬悠宇/13巻p105)

『ボクラノキセキ』久米田夏緒/4巻p159
(『ボクラノキセキ』久米田夏緒/4巻p159)

『ボクラノキセキ』久米田夏緒
(『ボクラノキセキ』久米田夏緒/5巻p17-p18)


「人の手で与えられる事に慣れては自然では強くは生きられない」
「でもこのままでは死んでしまうんじゃないのか!?」
「ならそれも運命
生きるべき場所で生き運命に従い死ぬ
それがあるべき生命の姿」

(『ボクラノキセキ』久米田夏緒/4巻p159)


「あの仔ギツネに手をさしのべる道もあったのだ
出会った事で運命を変える選択肢は生まれたのだ
…それをよく覚えておいで」

(『ボクラノキセキ』久米田夏緒/5巻p17-p18)


続いてきた悪しき因縁を未来へ引き渡さないよう絶つことが今の「私」の唯一性の証であり、過去を昇華し今を生きるということになります。



「私」が過去からつづく「運命」を受け入れ、清濁併せた過去を昇華し未来へ繋ぐ。
「私」がなくなるわけではありません。けれど前世がなくなるわけでもありません。

そうなると前世と今はまるきり別々の人間ではなくなります。
今ここにいる「私」を形づくってきた過去、「私」のルーツを前世に求めることになります。
よって、過去を受け入れ前世の自我を受け入れることで、過去の自分と今の自分を統合することができるようになるのです。
今の「私」の唯一性を損なうことなく、前世の自我と今が共存する――。

『妖しのセレス』渡瀬悠宇/14巻p125
「そう…私たちはひとつに解ける…これでやっと私は本来の姿に戻れる
けれど妖…あなたの人格は完全に消えるかも知れない」

「―――あたしは消えないよ
あんたは あたしなんだから―――」

(『妖しのセレス』渡瀬悠宇/14巻p125)


『ボクラノキセキ』久米田夏緒/6巻p125-p126
「最初はね 〝転生したんだ〟って 〝自分はリダだ〟ってそればっかりだったけど
普通の生活送ってるとだんだん 共存…できてくるよ」
「共存…かぁ」

「なくなりはしないかな」

(『ボクラノキセキ』久米田夏緒/6巻p125-p126)


『イティハーサ』水樹和佳子/15巻p30
「わたしたちはすでにわたしたちではなくわたしなのです
わたしはわたしであることを受け入れました…
わたしであることの希望と絶望の両方を…」

(『イティハーサ』水樹和佳子/15巻p30)(傍点省略)

拒絶しないからそういうことができるのです。
「前世」の自我を受け入れ他者ではなしに自己として統合することが。



前世ものは通常「過去からつづく今」を拒絶します。過去と今を切り離します。
運命の非受容です。

『妖狐×僕SS』藤原ここあ/6巻p137-p138
ここはあの日々の続きではない
全てを受け入れて 前向きに今を生きるなんてできない

(『妖狐×僕SS』藤原ここあ/6巻p137-p138)

だから当然前世と現世の自我の統合もしません。

『ファンタジックチルドレン』26話
「セス、あなたはトーマなの! あなたが死んだらトーマが死んでしまう
今生きてるのはトーマなのよ! お願いセス。トーマになって生きて!」
(中略)

「俺は、トーマとして生きるよ。生きよう、ヘルガ。生きるんだ。」

(『ファンタジックチルドレン』26話)(中略は引用者による)

『天使禁猟区』由貴香織里/文庫10巻p161
「アレク…!?」
「…さっきまではそうだったが…
一瞬気を緩ませた時俺は彼女の意識を…俺の意志で取り戻した
俺は刹那だ」

(『天使禁猟区』由貴香織里/文庫10巻p161)

『妖狐×僕SS』藤原ここあ/11巻p258
「君はifの君を自分ではないと捉えるんだな」
「凜々蝶さまは…?」

「判らない」

(『妖狐×僕SS』藤原ここあ/11巻p258)



それは少女漫画が前世と現世を地続きに考え、「過去からつづく今」をこそ運命として捉えるのと対照的です。


厳密に言うと「少女漫画だから」そうなる、というわけではありません。
少女漫画であっても運命に抵抗し自我を分離する作品もあれば、逆に少女漫画でなくとも「過去からつづく今」の受容や自我の統合が描かれる作品もあります。

『密・リターンズ!』では、キャラクターによってそれが描き分けられています。

『密・リターンズ!』八神健/7巻p103
「前世なんざおれの知ったことか」
(『密・リターンズ!』八神健/7巻p103)


『密・リターンズ!』八神健/4巻p142
「今度は外で会おうぜ」

「おたがい元の姿でね」

(『密・リターンズ!』八神健/4巻p142)

過去と現在のつながりを否定し前世と現世の自我を分離するキャラと、

『密・リターンズ!』八神健/3巻p42-p43
「ボクは過去を捨てました
あなたも…いつまでも過去にしばられないでほしい…!」

「………ごめんなさい…
………私にはどうしても忘れられない人がいるんです
(中略)
その人がいなかったら今の私はいないんです
忘れることのできない存在…どころか 私の一部なんです」

(『密・リターンズ!』八神健/3巻p42-p43)(中略は引用者による)


『密・リターンズ!』八神健/7巻p135-p137
「理都…あなたは私にさからおうというの…?」

「ちがうわ…
(中略)
あなたと私は二人でひとりだから…一緒に生きていきましょう」

(『密・リターンズ!』八神健/7巻p135-p137)(中略は引用者による)


過去と現在を地続きと捉え過去を受容し前世と現世の自我を統合するキャラに分かれています。


なので、少女漫画と少女漫画以外で厳密な区切りがあるわけではありません。
しかし傾向として大まかにそのような相違性があるのは事実だと思われます。
前世ものの特性上通常は「運命への抵抗」の物語が採用されやすいがゆえに、少女漫画以外だと「受容」まで手が回りづらいからです。


★まとめ


前世ものとは「生を越えてつづく自己に懐疑を抱く転生作品」。
よって基本的には以下の要素が当てはまる。
・運命への抵抗
・前世と現世の分離
・過去からつづく今を否定
・前世と現世の自我の非統合

「運命」と「私」が対立し、「運命」よりも現世固有の「私」が大事にされるため。

より少女漫画的な作品の場合、以下の構成要素を持ちうる。
・清濁併せた運命の受容
・前世と現世が地続き
・過去からつづく今の受容
・前世と現世の自我の統合

「前世もの」の特性が運命を疑わせるが、それでいてなお抵抗せずに運命を受け入れることで事態に対処する。過去からつづく今を受け入れ自我を統合することができる。




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私の根幹は『ぼくの地球を守って』だから「前世もの」がこうもせっまい定義になりました。
前世を扱った作品は古今東西たくさんあるのでこんなに探すのに苦労するとは思わなかった。
しかし長年やりたいと思っていたぼく地球分解ができてよかった。
いつかぼく地球のみストーリーに絞った考察をやりたいんだけどネタがない。気長にいこう。

ファフナーが描いた少女漫画性――前世もの類型から見る生まれ変わった総士の姿

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引用部分色つき太字。

『妖狐×僕SS』『ぼくの地球を守って』のネタバレあり。

これはあくまで前世もの類型という外的文脈に依拠する“分類”であって、総士がどのような存在であるか、あるいはファフナーという物語があの総士を希求した理由の考察ではないです。



「前世もの」作品の構成要素――少女漫画と少女漫画以外の相違性


前回の記事では「前世もの」作品の構成要素を分解・分析しました。

「前世もの」の定義は「生を越えてつづく自己に懐疑を抱く転生作品」として、運命と自我の兼ね合いに反発・葛藤・考察しない転生作品と区別しました。


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さて。
ファフナーを輪廻の物語として見たとき、これもまた「前世もの」として捉えられることがわかります。
ファフナーは生を越えてつづく自己に懐疑を抱いた転生作品(の亜種)です。



元々『蒼穹のファフナー』は大いなる運命、輪廻のことわりを獲得する物語でした。

「最初は、みんなひとつだった。大きくて深い場所」
(『蒼穹のファフナー』15話)

『蒼穹のファフナー』15話
「同化現象って言うんだって
僕たちの体のなかに記された、遠い場所への帰り道なんだって」
(『蒼穹のファフナー』15話) 

フェストゥムの祝福は「無」でした。
いなくなったら何も残らない停滞が待ち受けていました。
それが人類と関わるうちに変わっていってついに生命の循環を理解したのが無印のラストです。

『蒼穹のファフナーRIGHT OF LEFT』
「代謝って体を生まれ変わらせることだよな。お前たちもそれを手に入れた
それって命になるってことだろ」

(『蒼穹のファフナーRIGHT OF LEFT』)

『蒼穹のファフナー』25話
「ミールに教えてあげないと。生命にとって、終わることが新しい始まりであることを。
生と死がひとつのものとして続いていくことを」

(『蒼穹のファフナー』25話)


ファフナーは古来SFが描いてきた「自我の融解」が一定の静止状態である物語を克服したのです。
それは奇しくも運命を受容する少女漫画性の獲得でした。

参考:
『エヴァンゲリオン』の中では「自我の融解」が、逃避かもしれないが選び取りさえすればそこにある一つの理想郷、一つの帰結、至福の静止状態として認識されているのに対して、少女マンガにおけるそれは、あくまでも一つの始まり――そこから存在が個別に変化し、枝分かれしていく〝始源〟の状態――として認識されているということだ。
(『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』藤本由香里/p321)



また、ファフナーは「受容」がひとつのキーワードでもありました。

『蒼穹のファフナーEXODUS』26話
「俺は、お前だ。お前は、俺だ」
「敵のミールの鼓動……。一騎が、敵の意志を同化した」

「そう。受け入れることもひとつの力だよ」

(『蒼穹のファフナー』26話)


『蒼穹のファフナー』24話

「無論真壁紅音自身にとってもそれは不測の事態だった
だが我々と接触した瞬間、我々を迎え入れ、祝福した」

(『蒼穹のファフナー』24話)



「前世もの」作品の構成要素――少女漫画と少女漫画以外の相違性


「受容」は少女漫画の特徴のひとつです。
大いなる超自然の運命に反発するのではなく受容する。それは今につながる清濁併せた過去も受容するということ。

だから過去は変えられないものなのです。

HEAVEN AND EARTHまでファフナーはとても少女漫画的な作品でした。



ところがEXODUSは少女漫画的要素を薄め、受容するばかりでない抵抗と希望を積極的に勝ち取る姿勢をあらわにしはじめました。
それが「運命に抗うことで見出される希望」というキーワードに表れています。

運命をただ受容していたら無慈悲で残酷な絶望しか残らず一番希望に満ちた未来にはたどり着けませんでした。
抗わなければならない。しかし過去は変えられない。だからカノンは未来を変えたのです。
(運命を受容するタイプの少女漫画では、「今」を変えて未来に繋ぐことはあっても「未来」に干渉することもできません)

また、「力」という言葉を多用するようになります。
乙姫は「受け入れること」を理解すべき力だと言いましたが、織姫は与えられた力を能動的に利用することを正しく理解せよと乙姫以上に突きつけました。
支配力へのまなざしも強め、ニヒトとレゾンの支配性の対比も描きました。
「力」をコントロールできるかどうか。今までのファフナーでは命題にならなかったことです。

そして過去が現在に寄り添う物語から目標を未来に設定してそこへ到達しようと邁進する物語へと変化しました。
少女漫画の構造ではあまり主流だと言えないものです。


『蒼穹のファフナーEXODUS』13話

君は知るだろう

本当の悲劇は絶望によって生まれるのではないことを

運命に抗うことで見出される希望

それが僕らを犠牲へと駆り立てた

(『蒼穹のファフナーEXODUS』13話)


ファフナーは運命をただ受容する物語を手放しました。
そしてそれは「輪廻の解脱」に帰結しました。
すなわち、一騎が人の生死のことわりを抜けました。(もしかすると「同じもののコピー」となって「生命の本質からはずれた」かもしれない総士もそうと言えるかもしれませんが先に言ったようにここでは問題にしません)

「運命」とは絶対に抗うことのできない超自然の支配的な力です。
その究極が死。それは単なる「因縁」の意味での「運命」ではない、「大いなる運命」に回収され得ます。
この救いようのない、変えようのない「死」をも少女漫画は受け入れます。
けれどもファフナーはそうではなくなりました。
「全ての虚無」から「輪廻の受容」を得たファフナーが「輪廻の解脱」に帰着したのです。



さて、「前世もの」を見ていきます。
二代目総士は「前世」(とあえて言います)の初代皆城総士とはどういう距離感であるか。


前世ものにおいて「前世」は基本的に「現世」を縛り脱却すべき枷となります。

『スピリットサークル』水上悟志/3巻p22
「おれはフルトゥナなんかに負けねえ!!
フォンにも ヴァンにも フロウにも!!」

(『スピリットサークル』水上悟志/3巻p22)


しかし少女漫画寄りの作品は前世の自我をも含めて現世の自己に引き継ぎそれを受け入れることができます。
今までのように少女漫画的な物語であったなら、ひょっとすると二代目総士と初代総士の自我が統合される可能性もあったかもしれません。

『ボクラノキセキ』久米田夏緒/4巻p90-p91
「なかった事にも…忘れる事もしない
全部まとめて俺だから」

(『ボクラノキセキ』久米田夏緒/4巻p90-p91)


ファフナーは少女漫画ではありません。
少女漫画ではなくなりました。

織姫は芹とともに皆城乙姫の灯籠を流して乙姫に別れを告げました。
皆城織姫は皆城乙姫とは別の存在であり、二者の人格は統合されませんでした。

総士は記憶を失いました。記憶が欠け左目の傷を失った総士はもはや我々の知る皆城総士ではなくなったのです。


しかし初代総士は二代目総士の「脱却」すべき枷になるでしょうか。
二代目総士は「前世」を切り離して今だけの自分の人生を生きるべきなのでしょうか。


制作スタッフ陣含め我々は皆城総士への愛着を脱却したくはありません。
加えて、言うまでもなくファフナーは過去を捨てるような冒涜を許さないのです。
未来を求める物語に変わってもずっと、過去は寄り添っています。

よってもしもEXODUSの続篇があるとすれば、ファフナーは「違う人間だけれども本質は同じ」という描写を採択するのではないかと個人的に思っています。
それは既にEXODUSにて皆城織姫の本質が皆城乙姫と同じであったという描写で示されました。

参考:
『妖狐×僕SS』藤原ここあ/8巻p33-p34
彼の中にもある生まれ変わっても変わらない業。
(中略)
それが「君」の正体なんだね

(『妖狐×僕SS』藤原ここあ/8巻p33-p34)(中略は引用者による)


だからそのときは一騎が「お前って本当に不器用だな」と言ってくれるはずです。きっと。
(私自身はあまりEXODUSの続篇は望んでないですが)



さて、ファフナーは少女漫画でなくなったと言いました。
しかし少女漫画性を完全に破棄したわけではありません。基本的には運命を受容する物語です。
だからこそ輪廻を解脱した一騎が異質な存在なのです。
その一騎も「俺は、お前だ。お前は、俺だ」の受容の精神をEXODUSでも発揮しました。

参考:
少女漫画を読んでいると、戦後民主主義がことあるごとに唱えてきたアクティブさが機能不全に陥り、何かをそのままの形で受け容れるという瞬間が訪れた時に救いがやってくることが多い、受容性がむしろ何かを生むきっかけになるということです。
(『戦後民主主義と少女漫画』/飯沢耕太郎 章:終章 純粋少女と少女漫画のいま 節:少女原理とは何か? 7段落)

『蒼穹のファフナーEXODUS』8話
「運命を受け入れなさい

たとえどんなものでも人と彼らの架け橋になるために」

(『蒼穹のファフナーEXODUS』8話)

『蒼穹のファフナーEXODUS』26話
「すべてを受け入れて世界を祝福するとき、誰もが希望に満ちた未来を開く
いつだってそれは信じていい未来なんだよ。総士」

(『蒼穹のファフナーEXODUS』26話)

祝福を受け入れ自身が世界を祝福し、清濁併せた運命を受容する。
それゆえに過去からつづいてきた今を肯定する。
たとえどんなにつらい思い出があっても過去は絶対に変えられない。いなくなってしまった人を取り戻すことはできない。

『蒼穹のファフナーEXODUS』9話
「平和な夢は見られたか、一騎」

「よく寝た。いい夢だった。たぶん」

(『蒼穹のファフナーEXODUS』9話)

この夢は「翔子も衛も誰もいなくならなかった夢。だけど過ぎてしまったことだからたぶんと付け足した」のだと明かされました。(2015/5/24『蒼穹のファフナーEXODUS』スペシャルイベント-痛み-にて。うろ覚えですが)
これはまさに過去からつづいてきた今、運命の受容です。

過去があるから今がある。過去からつづいてきた今をもって未来へ繋いでいく。
少女漫画の前世ものはそれを静かに受容できるのです。

参考:
ここで語られているのは、けっして停止しない永遠の回帰の感覚である。そこには依然、葛藤もあり、苦しみもある。だが、世界は私である。たとえどんな存在の仕方にせよ、「私」は世界に影響を与えている。世界は私無しでは、いまとは違ったものになってしまうのだ。
(中略)
今まであなたの生にかかわってきた「生命」たちは、「あなた」の身体を通して、「未来」に還っていこうとしている……。

(『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』藤本由香里/p322-p323)(中略は引用者による)


『ぼくの地球を守って」日渡早紀/?巻p?
「私達はみんな未来へ…未来へ還るの
幾度も転生を繰り返して
銀河系も…地球も…回帰…しながらみんな未来へ還っていくんだわ
貴方が…こんなに懐かしいのも きっと…未来でまた出逢えるからなんだわ」
(『ぼくの地球を守って』日渡早紀/20巻p26-p27)

『蒼穹のファフナーEXODUS』26話
「ねぇ、あの向こうには何があるの?」
「世界と、お前の故郷が」

「世界、故郷……」

「…………行こう、総士」

(『蒼穹のファフナーEXODUS』26話)

『蒼穹のファフナーEXODUS』26話
君は知るだろう
苦しみに満ちた生でも存在を選ぶ心。それが僕らを出逢わせるのだと
世界の祝福と共に僕らは出逢いつづけ、まだ見ぬ故郷へ帰りつづける――何度でも

(『蒼穹のファフナーEXODUS』26話)

総士はすべてを受け入れて生まれ変わる道を選びました。
過去を受け入れ今を肯定し未来の今へ生を繋ぐ。
竜宮島が「故郷」であれるのはたとえ姿を変えようと総士のその魂が懐かしい未来へと還っていくからなのです。



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『ぼくの地球を守って』研究のために印刷してた『私の居場所はどこにあるの?』p321-p323を放送中何度も読み返していた。
私の人生の根幹はぼく地球なのでこそうしが「懐かしい未来」を手に入れたことにどれだけ興奮したことか。

私の嗜好これなんだなあと改めて。「懐かしい未来」、昭乃さんもまたそうである。だからEXODUS最終回当日の昭乃さんのライブ号泣して大変だったのだ……。

見たこともない風景 そこが帰る場所
たったひとつのいのちに たどりつく場所

VOICES/新居昭乃)


少女漫画性というより母性云々といったほうがいいのかもしれないがそのへん浅学だしあんまり「母性」に固着した物言いは苦手(というより母性礼賛のイデオロギーが苦手)だし少女漫画のほうが馴染みがいいからなあ。
それと現代における「少女漫画」という語の「恋愛もの」に限定した扱われ方を相対化したい思いはいつでもあるから……。

でも「基本的に少女漫画である」というよりは今まで「陰」の物語であったファフナーがEXODUSで「陽」の要素を強化し全体性を獲得したと見るほうが本質に近いと思う。


そしてとりあえず提示された情報的に総士とこそうしの人格は統合されないと個人的には見ていますけどそこまで絶対にありえない話か?と言われればわからないし妄想は自由だと思うんですよね。

過去を受け入れ統合しないかなあ。

過去を受け入れる前世ものだって別に常に人格統合してるわけではないけれど。


参考:

『イティハーサ』水樹和佳子/15巻p30

わたしたちはすでにわたしたちではなくわたしなのです

わたしはわたしであることを受け入れました…

わたしであることの希望と絶望の両方を…

(『イティハーサ』水樹和佳子/15巻p30)(傍点省略)

RYUTist聖地巡礼

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新潟県の地方アイドルグループRYUTist。
活動拠点古町まで行ったのは今回3回めですが、地元のヲタともだちに案内してもらって簡単に聖地巡礼してきました。

BPSR

まずは『Bitter Pain , Sweet Revenge』のジャケット写真ロケ地。
背後に信濃川が見えるので結構楽に探せます。
道順は車で案内してもらったのでまだ自分では行けません。

BPSR

一本橋である万代橋ではなく、二本橋の下です。
新潟駅側とは反対のほうで撮影したもよう。

BPSR


次、どっぺり坂。

どっぺり坂

新潟駅から一本道で行ける。異人館に挟まれているみたいです。

どっぺり坂

古町を一望できて結構綺麗。
手すりを支えるいかりがかわいい。
『どっぺり坂』の歌詞で風が潮風になる、みたいなことを歌っているので潮の匂いがするかしらんと思ったけど特にそういうことはなく。笑
でも少し行った先が日本海で綺麗でした。



次は新潟空港。
『Beat Goes On!~約束の場所~』の裏ジャケロケ地。
Arrivals and Departures』ってこと?

空港

Beat Goes On!~約束の場所~

もうCDは廃盤になっていて、まあ私はCDはライブの物販で少しずつ買ってるだけのファンなんですけど、当時の音源が聴けないのはちょっと残念です。
お土産やさんを見たらNGT48のコラボ商品が売ってました。

空港


今年上半期は新潟まで行く気はなかったんですが若奈ちゃん卒業と聞いて急遽行ってきました……。
正直めちゃくちゃ悲しいです。
最後に一目見れてよかった。
これからどうなるかわからないけど、でも、私はまた古町まで彼女たちに会いに行くと思います。
今日はともちぃの誕生日、おめでとう。

画像引用:RYUTist online-shop

ブログお引越し

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ブログ引越しました。

青い月のためいき

正確に言うと漫画・アニメ系セク系のよしなしごとの記事を移動させました。
いや、せっかく検索のいいとこに表示されたりしてるので、こっちのほうを消す気も今のところなく移動というかコピーなんですけど。
今後考察分析のたぐいはそちらに書く予定です。
こっちはまあのらりくらりと。
なんにしろ更新頻度元々低いのがどっちもさらに下がるだけだと思いますが。
まあああいうの書くにはどことなくアメブロ居心地悪いからね……。

たぶんそっちで飽くなき少女漫画やらファフナーやら昭乃さんやらセクシャリティーやらのあれこれをつづっていくと思います。
ではよろしくお願いします。

新居昭乃Little Piano Tour vol.6最終日 2016/5/15ライブレポート

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Little Piano Tour vol.6 TOKYO FMホール

なんかわーーーって書きたくなったので今までの私のなかで(消した記事含め)最速レポートになる。ライブ終了6時間後て。
本日のセットリストは今までにリリースしたアルバムのなかから事前リクエスト投票を募って、それをだーっと20位から1位まで順番に並べたもの。
MCの合間前方スクリーンにランキング発表として順位と曲名が映し出されるのが面白かった。
MCも少し多めでホーム感あって楽しい雰囲気。

セットリストは倣って順位で書き出します。
それと今日はMCで昭乃さんが「これは○○ってアニメの曲で~」ってよく言うなーと思ったので提供先のアニメもうしろに記してみました。
昭乃さんは途中途中「これ、、なんの作品だっけ?」「ED? だったかな?」とあやふやだったので観客から助け船を出されたりしてましたけど……。笑
ファンは大抵わかっている……。


セットリスト

20位 蜜の夜明け(狼と香辛料)
19位 月の家(星方武侠アウトロースター)
18位 遥かなロンド(ぼくの地球を守って)
17位 空から吹く風
16位 スプートニク
15位 キミヘ ムカウ ヒカリ(ゼーガペイン)
14位 星の木馬(地球防衛企業ダイ・ガード)
13位 月からの祈りと共に(ぼくの地球を守って)
12位 風と鳥と空(ロードス島戦記)
11位 パンジー
10位 さかさまの虹(ロードス島戦記)
9位 WANNA BE AN ANGEL(マクロスプラス)
8位 花かんむり
7位 金の波 千の波(ARIA The ORIGINATION)
6位 叶えて(あやつり左近)
5位 ガレキの楽園
4位 きれいな感情(NOIR)
3位 Moon Light Anthem~槐1991~(ぼくの地球を守って)
2位 空の青さ(パルムの樹)
1位 覚醒都市(東京アンダーグラウンド)

――アンコール――
Little Piano Song(新曲)



並べてみるとやっぱりアニメ提供曲強いね!
確か投票自体は誰でもできるから普段あまり昭乃さんのライブに行かない人も結構投票したのかな?
ただまあアニメ自体曲自体が有名だからどうなるってアーティストでもないと思うのでわりと純粋に「聴きたい」曲の順位になったんじゃないかと思います。みなさん菅野よう子大好き問題。
VOICESや美しい星なんかはライブ定番曲だし今回のツアーでも前振り的な形で歌っているので入らないのも頷ける。

私はツアー初日の『妖精の死』が素晴らしすぎたのでこれに投票したんですが報われませんでした。笑
でも昭乃さんは順位なんてあってないようなものと言っていたので本当に僅差の争いだったんでしょうね。
以前自由記述のリクエスト募ったときは票が1票ずつになるレベルでばらけすぎて困ったという反省からか今回はアルバム収録曲限定の選択形式でした。

こういうセットリストだと、「あーそうきたか~人気だもんね~」とか「わかる!! これライブであまり歌ってくれないけど聴きたいよね!!」って、他の観客と勝手に同調してる気分になる。笑


20位 蜜の夜明け
なんかライブ一曲目がこれ、というのはとても新鮮で、粋だと思った。
例によって昭乃さんは一曲目声の調子が悪いんだけど今日は二曲目にはすぐに持ち直したし、この曲はこれはこれで味が出ていた気がする。
「♪歌う鳥よ……」の「う」が少々出づらそうになりつつもひねり出した感じになってそれがなんか知らんが曲を跳躍させていて鳥肌立った。
ピアノアレンジがちょうどいい受け皿になっていて好き。間奏部分も。

リリースしたばかりのライブのとき昭乃さんが『狼と香辛料』を「すごーく大きい年の差カップルの話」とまとめていたのが結構印象に残ってる。
新作始動嬉しいなー……アニメ三期やってほしいまた昭乃さんOP歌ってほしい……。

19位 月の家
人気曲ですねーもっと順位高いかと思ってた。あと今回昼の月がなかったのは少し意外かな。

18位 遥かなロンド
円形と左右対称が印象的な映像。
「回れよ回れ」からきているんでしょうか。思い出させるは輪廻転生ですね……。

17位 空から吹く風
昭乃さんはこれがランクインするのが意外だったと言う。こういう曲が埋もれずに発掘されるのがリクエストの醍醐味ですね。
私も生で聴いたのはたぶん今回のツアー初日が初めて。
それで比較がしやすいんだけど、この曲相当練習したんでは? 今回のツアーで何回歌ったんだろう。
前回はCD音源に近く軽快にピアノが跳ねていった記憶があるんだけど、今回ピアノにも声にも余裕となめらかさが加わり優しく柔らかい印象になっていた気がします。

16位 スプートニク
これもなんか優しい印象だった!!
アレンジは今回のツアー通して同じ打ち込み音源メインだったと思うけど、前回赤レンガで聴いたときはもう少し冴えた雰囲気で真正面から向かってくる感じだったような?
スプートニクはライブ定番曲でもあるけどそのたび新しい面が見えてくる気がする。

15位 キミヘ ムカウ ヒカリ
「この二曲はライブでもよく歌ってる~」と始まり、スプートニクはわかるんだけどこれそんなに歌ってるんだ??
去年ほぼライブ行ってないから歌っているのかもしれないけど、私は生で聴いたのたぶん2010年の年末ライブ以来だからめちゃくちゃ嬉しかったよ!!
今年ゼーガペインが10周年で盛り上がってるから……キョウとカミナギの幸せそうな姿の幻覚が本当に見えて感極まった。。
ぜ、ゼーガのための新曲……とかないか……。
映像テーマは「水」と「羽」。まさにゼーガペイン。
海に潜ってサビで光の羽がぶわっとたくさん舞う。これも静かに陰陽織りなされた曲なんだなあ。

14位 星の木馬
だからなんで昭乃さん外国語なんて歌いづらいコーラスをその場で歌わせようとするの笑
以前もこの中国語の部分歌わせようとしてみんななんとなくで乗りきった感じだったけど、今回はちゃんと前方スクリーンにカタカナに直した歌詞が書いてありました。(でもこの曲映像があったはずなのでちょっと見たかった)
なのでコーラスは余裕で歌えるけど、またもやいきなり「サビでハモってほしい」と難易度高いことを……笑
私も最初のハミングまではなんとかなってもハモる技量はありませんでした。。できる人はできてたかな?みたいな雰囲気。
でも昭乃さん合唱すると本当に嬉しそうでこちらも幸せになるから頑張ろうって思うよね……。

細かいけどCD音源では「ずっといきていこう」の「いこう」に急所があって、ここは「いこう」であって「ゆこう」ではないのがひらがならしさがあって好きなんですが、今回一番だけ「ゆこう」と歌ってくれて、これはこれでレアでいいものを聴いたなあ、と思った。

13位 月からの祈りと共に
アニメ挿入歌、歌詞のない子守唄がランクインするのはさすが昭乃さんだなあ……。
私が昭乃さんに強烈に惹かれるきっかけとなった曲。今回ぼく地球の曲3曲も入っていて満足だよ……。
いつもは「ラララ……」がずっと続くけど、今回は「ラチュラ……」って感じでchu音が入っていた。

12位 風と鳥と空
年末ライブでは確か映像なかったよね?
それ以前にどこで聴いたか思い出せないけどほとんどの曲に映像がついてくると楽しいなー。

11位 パンジー
これ初めて聴いた、かも?
こういう、あまり披露されないがゆえに潜在的な人気が高まるような曲が多くなるのかな、と思っていたけど、結構ストレートに人気な曲が多かったかな。
個人的にそういう意味+ファンになりたての頃とても好きだった曲なので聴けて嬉しかった。
思想色強いのでとても刺さる曲……。
「脱北者のことを思ってつくった曲で、そういうので多少なり印税もらっていいのかなと悩んだけど、相談した人に「思いはいつか届くからいいんだよ」と言われて歌うことに決めた曲です」

10位 さかさまの虹
久しぶりにこの映像見たなー。
この曲も根強い人気を感じさせるけれど、私は比較的思い入れの少ない曲なのでへえ……と思う。

9位 WANNA BE AN ANGEL
今日声の調子よかった……!
のびのびと声が響いて気持ちいい。
やっぱり相当根詰めて練習したんじゃないかしらと思ってしまう。
ライブでこの曲といえばラストの盛り上がりのほうに入るのでいつもは終わるとすぐ昭乃さんが「ありがとうございましたー」と頭を下げて極まる拍手、の流れになるけど、今回は中盤ということで「このあとまだいっぱい聴けるんだ……!」という嬉しさを感じた。笑

8位 花かんむり
今回の合唱曲2。
ほんと合唱すると楽しそうに声跳ねるよね昭乃さん……もっと公演ごとに全然別の曲やっても対応できると思いますよ……。まあ昭乃さんのほうが大変かもしれないけど。
途中昭乃さんが歌わずに観客の声だけ聴いたりして、本当に聴きたいんだなあ、歌ってくれるのが嬉しいんだなあというのが伝わってくる。
声の感じから、今日は男性客多めだったのかな?見渡した程度ではいつも通り男女比半々かなと思ったんだけど。
ただ今日は昭乃さんのほうが歌詞を間違えて観客ともどもちょっと混乱したりもした。笑

7位 金の波 千の波
個人的に一番意外な順位。
『ARIA』側からは「これから始まる、という曲で」というオーダーだったらしく、昭乃さんの「陽」の部分が開放していった時期の筆頭曲という印象だったんだけど、久々に聴いて「どんなときでも空がそこにあるの 見上げるだけの力を与えて」……ってやっぱり昭乃さんじゃないか……と今日思った。
空を見上げるだけの力。ちいさき者の些細な力。
それだけのことを昭乃さんは眼差して肯定してくれるんですよ……。
映像は昭乃さんの絵。まんま『ARIA』のゴンドラ。それが、天の光へ向かっていく。
映像もライトもオレンジ基調の温かい空気でした。

6位 叶えて
このへんから大分残りの曲が絞れてくる。
それまでがあまり見当つかないというのも新居昭乃曲の面白いところだなと思います。
去年やっとこ『あやつり左近』のアニメを見れて、叶えての素晴らき切なさを深く知ったんですけど、今日は切なさよりもやっぱり優しさ溢れる声の日だったな。

5位 ガレキの楽園
アニメ提供曲揃いのなかでこれは違うけど、『鉄コン筋クリート』をイメージして作られた曲。
今までアニメ版を見て、だと思いこんでいたけど漫画版からのイメージだったんだ?
個人的なこの作品の物語体験はまんま昭乃さんの曲を聴いているときのようにちいさき者たちの透徹した視線が深く根差して染み渡っていく心情にさせられたというものなので……「戦う」というのは強さではないんだ……。
ステージいっぱいの赤いライトが本当に似合う曲だと思う。
久しぶりに保刈さんのギターで聴きたいなあ……今保刈さんは昭乃さんのアルバムの仕事でたいへんお忙しいもよう。

4位 きれいな感情
昭乃さんのピアノなしで音源が多分CDと同じものだったからか、基本に立ち戻ったようにCDと寸分たがわぬささやくような愛がこもっていて、「ライブ感」を重視する私もこれはよい心地だな、と思った。
14歳の初恋の曲という。これも『NOIR』側からのそういうオーダー、みたいなニュアンスで語られていて少し驚いた。そうなのか『NOIR』……。

昭乃さんは様々なプレッシャーでつらかった時期があったそうなんですが、先ほどパンジーについて相談した方に昭乃さんは8歳のままなんだよ、8歳の子供が責任を負わされてるからつらいんだよと言われて楽になったとMCにて。
昭乃さんのいつまでも純粋な妖精さんみたいな感じは、8歳のままの心を持ってるからかもしれませんね。それは本当に稀有なこと。
そうして私たちは浄化されてしまう。

3位 Moon Light Anthem~槐1991~
ぼく地球曲3曲め!!
これも確かに人気があるのはわかるけどこんな高い順位だというのは少し驚き。
凄く切ない曲だと思うんだけど映像がなんか豪華な月。
ぼく地球4巻時点で作った曲だっというのは初めて知った。(OVAの企画その頃からあったんだな……)
一成が一番つらい時期のね……「死」という言葉が入ってる昭乃さんの曲は確かこれだけだったと思うんだけど、今回特に、重たく響かせていた。
昭乃さんいわく「歌わせてもらえることがありがたいと思った曲」。
「『空の森』に収録された音源をもう越えられないと思う」と。その昭乃さんの幸せな気持ちを汲んで音源を聴きなおしましょう……。

2位 空の青さ
うわ~~~今回の泣き所……。
空が大好きな昭乃さん、今回のライブでも遠い空へ帰っていったり空から風が吹いてきたり空から闇へと吸い込まれたりヒカリの羽が空へ広がったり空の悲しみを忘れなかったり空には届かないと笑ったり空がそこにあったり空ばかり見ていたりという歌詞が続いていたけれどやはり「空」の集大成といったらこの曲か……納得の順位。
『パルムの樹』はまあ特に好きな作品でもなくちょっと他のアニメの話になるけど今日のライブで完全に私のなかで蒼穹のファフナーEXODUS最終回の総士イメソンになってしまった、、泣く。
今日一番のすすり泣きが周りから聞こえる。

「♪君が涙を流すときには……」の入りがいつにもましてウィスパーボイスで、本当にそっと心の内側に入り込んでくるのが恐ろしいほど。
昭乃さんが歌うために生まれてきたというのは、紛れもない事実であると思う。

1位 覚醒都市
絶対1位だと思ってたよ!!
前のリクエスト投票のときも1位だったよね?
昭乃さん的には「地味な曲だと思うんですけど……」と戸惑いのご様子。まじか、昭乃さんの「悲痛なやさしさ」真骨頂だと思うんですが……。
私も昔は好きというほどでもなかったのだけど、たしか2008年のアキノスフィアのときだったかな、それの一曲目にこれがきて意味わからないほど涙流して以来大好きです。
そのときから変わらないいつもの空を五線譜が駆け巡る映像で、締め。

アンコール Little Piano Song
アルバム収録予定のできたて新曲。
歌なしのピアノ曲がアルバムに入るんだー、初めてだね。
『Magic Garden』もあとから歌詞入れたりしてたのに。
出だしがちょっと『At Eden』と同じ音?っぽかったです。





いやー、面白く濃いライブでした。
ほんとただ書きたいだけの一心でいつもレポには書かないことまで書きすぎた。
ただ『ソラノスフィア』以降の曲が蜜の夜明けしかなないのはちょっぴり残念だと思っていて、まあ、新規のファンより昔からのファンのほうが圧倒的に多いので当然だとは思うんですけど、人気という形で日の目が当たってほしい曲も結構あったり……。
今日出たこれら納得の人気曲以外から投票させたらどんな順位になるのかも気になります。まあそれでも多分私だって妖精の死とか凍る砂とか昔の曲選ぶだろうけど笑


いや本当に今回のツアー大変だったと思うんですよ。
昭乃さんはMCで冗談めかして「やめちゃっていいかな」とか言っていたけど、何十曲もの曲を覚えて練習して、アルバム仕様とリクエスト仕様のセットリストを用意して、しかも夏に出すアルバムの準備もしてなんて、つらくないわけがない。
言ってしまえば昭乃さんは既に一定数のコアファンを獲得している安泰なアーティストだからなにも無理して新しいこと珍しいことを画策する必要なんかないと思うのよ。
それでもファンを喜ばせるためだけにいつものリトルピアノと趣を変えてこうして披露してくれるのは本当にありがたいと思ってます……。

今回のツアーは三ヶ所行ったけど、最終日の今日以外は終演後他の場所のライブのチケット購入列が結構並んでいてみんなアルバムライブツアーに興奮したんだな~と思った。
私も!スタンプラリーで景品もらいたかった!!けどアニメの円盤イベントグッズや地方アイドルの遠征費用にお金を回さなくちゃならなくて三ヶ所が限界……。
せめてとツアー中久しぶりに昭乃さんへファンレターを書きました。アルバムライブへの喜びと感謝、一番好きなアルバム『降るプラチナ』のセットリストを聴けた嬉しさを書き連ねたけど、どうか気持ちが届いてますように。
まずは8月21日(目標)の新アルバムが楽しみ!!

引越し

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NGワードで弾かれ弾かれ!!

もういい!引っ越す!

 

浅くまどろむ

 

↑新しいブログに引っ越しました。

 

2007年か2008年からこのブログでやってたけど更新停止します。

たぶん消さないとは思う。消したら気まぐれ。

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