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Channel: 限りなくいとおしい
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森達也『A』

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書籍感想。面白かったー。


オウム真理教の一連の事件のあと、世間から多大なバッシングを受けているオウムの内側から外側の世界を撮る、というコンプセントの映画制作。

その過程を記したドキュメンタリーエッセイ。


宗教への恐怖、善悪二元論、正義の暴力、マスコミの印象操作、レッテル貼りの思考停止、「洗脳」の意味と恐ろしさ……。

普遍的に通じるテーマを盛り込みながら、森氏は世間からもオウムからも一定の距離を置いて淡々と森氏自身の感性に従い世間とオウムを描写する。




報道で語られるおどろおどろしい姿とは裏腹に、オウム信者たちは「ふつーの人」なんである。

ただ、信仰するものがあるだけ。

「(倉庫から)サリンや死体が出てきたらまずいですけどね」なんてジョークも飛ばす。


私は「宗教=洗脳=恐怖=悪」という価値観大嫌いなんです。あまりに一面的すぎるのに、大抵の日本人はそれが全てだと漠然と捉えてる気がするから。

でもたぶんその価値観を固定したのはオウムがきっかけなのよね。




私たちが使う「ふつーの人」っていうのが本当はえらく限定的なことを、それを口にする人はちゃんと自覚してるんだろうか。


純日本人で、日本語を喋れて、心身共に健康で、障害者でもなく、極端なデブでも不細工でもなく、無宗教無神論者で、血の繋がった”まとも”な両親と18歳までは同居してて、恋愛感情や性欲があるシスジェンダー異性愛者で、集団行動に馴染めて、一定のコミュニケーション能力があって、労働してて生活に足るだけの収入があって、性産業やヤクザ関係に従事してなくて、安定した住居があって、重い犯罪や災害の加害者にも被害者にもなったことがなく、(いずれ)結婚して子供産んで成人まで育てて、……

しばしば女子供老人はばっさり除外される。



まだ色々取りこぼしてるだろうけど、マイノリティの部分がない人間なんていないのに「ふつーの人」として想定される中にはそのマイノリティな部分が入らないの。

「○○なのに意外とふつーの人」という認定は偏見丸出しよね。




映画も見ました。

映画の目玉となる”転び公妨”シーン。

オウム信者に詰め寄る警察が、信者を突き飛ばしたにも関わらず自分もわざと転んで「公務執行妨害だ!」って言って信者を逮捕するって衝撃の映像。


ここ、私は「ほんとにこんなことあるんだ……」と呆然としたんだけど、ながら見してた母は「えー、でもオウムも突き飛ばされ方がわざとらしいよ」と感想を漏らした。


思い出すのは森氏の言葉。

「事実は人の数だけある」。

真実、じゃない。事実が沢山あるのだと。

母の見た事実と私の見た事実は全く別物だった。


私たちはいくつもの事実の中で生きている。

信者をマインドコントロールする麻原、事件の責任を取らないオウム、世間のバッシングを試練だと言い黙々と修行する信者、いくつもの被害者と加害者の層。


いつになったら私たちは対象に一個人として向き合って「ふつー」を洗い直し、自分なりの「事実」を見出せるだろうね。


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